天地明察

天地明察

天地明察

 久しぶりに小説読んだ。

本書は算術家で天文学者江戸幕府初代天文方の渋川春海(安井算哲)を主人公とした小説。
まずは簡単にストーリーを追ってみる。

舞台は江戸時代。
四代将軍家綱の頃。
島原の乱が終わり、ちょうど武断から文治への転換期。
安井家は碁打ち衆の四家の一つといわれる家柄であった。
この時代の碁というのは、教養であり、交友を広げる手段であったので、幕府専属の碁打ち衆は、老中とか、幕府の要人に碁を指導したり、また上覧碁といって将軍の前で予め決められた手を打ち進めていき、将軍が疑問を口にした手があれば、中断し解説をする、といったことを業としていた。
春海も碁打ち衆としてそんな役目をこなす日々であったのだが、やっぱりそんなのつまんない。
ガチンコ勝負のない人生なんてつまんない。
ということで、天才算術家、関孝和との出会いから、碁打ちの世界ではなく、算術の世界に人生の勝負の場を求めるようになる。
やがて、三代将軍家光、四代将軍家綱のもとで政を司っていた会津肥前守、保科正之に見出される。
その時代の暦であった宣明暦が中国から伝来した時から、800年の時を経て2日程ズレが生じてることから、新しい暦に改暦せよとの命を受ける。
中国との緯度の違いを考慮しなかったことや新しい暦は受け入れまいとする朝廷内部の保守派による多数派工作などにより、改暦の儀は何度も失敗するが、春海の大和暦の正確さが世間に浸透してゆき、ついには朝廷は改暦の詔を発布、改暦実現と至る。

昨日、今日、明日。
時間を共有できるのはこのような先人のおかげである。

以上、となるが、そういえば最近つくづく思うことがある。

自分の人生つまんなくしてるのって自分なんだなーと。
自分の何を守りたいのか、失ったら困るもの何なのか、何が不安なのか、何にもないクセに何もやらない。行動しない。思考をやめる。
ただただ漂流中。
渋川春海の算術能力という点では関孝和に劣っていたが、そういう問題ではない。
猪瀬直樹が本で言ってたけど、頭の良し悪しは頭の持久力。それと人生はトーナメント戦じゃなくてリーグ戦。
そしてやっぱり重要なのが、人生勝負したいというテンションの高さ。
スティーブ・ジョブズのどっかの大学での卒業式スピーチと共に、なんというかケツをバッドでぶっ叩かれたような、目の覚める一冊である。

それと、本書の主要登場人物である保科正之
それまでの戦国の常識を覆し、戦国の終焉、泰平の始まりにパラダイムシフトさせた三代将軍家光、四代将軍家綱の影の総裁。
与える領土は既になく、与える金も尽きそうな江戸幕府を武断から文治へ転換させることにより安定させた。
改暦の儀もその一環。
用水路を整備すると、敵軍の侵入を容易にしてしまうが、玉川上水の開削を行い、江戸を縦横に巡る巨大な水道網を設置。
明暦の大火によって、江戸城天守閣が焼失した際は、天守閣の再建を見送って、行き止まりの多い複雑な通路を改築して、火災時の民衆の退路を確保。
またそうして出来た都市地図を一般に配布。
思考が戦国時代から抜け切れぬ幕臣を、今いかなる軍勢が江戸に大挙して押し寄せてくるというのか、と説得した。
また、飢饉→一揆の原因となる凶作は、戦国の世において天意であるから仕方なく慎むべき、質素倹約の良き機会、という発想が常識であった。
でも、それって単なる君主の無為無策でしょとして、米の収穫の一部を貯蔵して飢饉に備えた。
これらの政策って今の時代からすれば、そんなの当たり前でしょって思うけど、当時の世の中の常識、空気からは有り得ないことだったのであろう。
現代においてもこのような常識、常識と言われる雰囲気を醸し出した空気が漂っており、無為無策、思考停止が起きていると思うし、その恐ろしさは、この物語の時代に保科正之がいなかったらどうなってたんだろう、ということ想像すれば容易にわかる。
町人文化として栄えた元禄文化もなかったかもしれない。

この天地明察は映画化されるそうだ。
是非見たいな。

しかし、えん役(妻役)が宮崎あおいってまんまやなw