竹中平蔵

[rakuten:book:14504410:detail]
 今年のGWぐらいに読んだ本。
 著者は小泉政権期において主に経済・財政の担当大臣を歴任し、道路公団民営化、郵政民営化、財政歳出縮減、規制緩和等により、プライマリーバランスや株価等をバブル崩壊後沈む一方だった日本経済を回復させた実績のあるお方。
以前、なにかしらの紹介で知った『経済ってそういうことだったのか会議』という本を読んで、なんて経済をわかりやすく説明できる人なんだと思ったことから、現在の経済状況について、経済弱者の私にも容易に理解できるに違いないと思い購入した本。

 事実、内容は端的で理解しやすかった。
 この本の主旨は、民主党やマスコミに騙されないような経済リテラシーをつけましょう、というもので、主な中身は現民主党政権小泉政権時の政策との比較による批判となっている。
菅政権になってから出てきた消費税増税について、不景気時の増税は景気をさらに悪化させるので、まずは財政歳出縮減による財政赤字の解消及び規制緩和による新規参入と技術革新を促す。
要は増税は成長のもとに行うべきとしている。
 また、震災からの復旧・復興については、現民主党政権のように復旧と復興を段階的で細切れ的な補正予算の編成により行うのではなく、復旧・復興・改革を一気に行うべきだと主張する。
例えばTPPを農業復興のチャンスとし、復旧・復興と同時にTPP対応型の集約化・産業化したものに造り変えるべきとしている。
なお、現民主党政権では今年6月頃にTPPの協議を開始するとしていたものを震災を理由に先送りにしている。

 財政歳出縮減について、まずは公務員の人件費を削減すべきとあった件。
国・地方合わせて人件費は約27兆円となっているが、そのうち残業手当はどのぐらいあるのであろうか。
国でいえば、予算が多い省庁、少ない省庁でバラツキはあると思うが、私が所属していた省庁はそれなりに予算規模があったため残業手当はほぼ満額支給されていた(ちなみに国家公務員は基本残業だらけというのが実情)。
そう、本当はそんなことを言いたいのではなく、そもそも何故そんなに残業しなければいけないほど、業務量が膨大なのであろうか、ということである。
詳しく書くと長くなるので割愛するが、事業仕分けならぬ業務仕分け、IT技術の活用、アウトソーシングによりだいぶ削減できるのではというのが7年3ヶ月国家公務員やった上での感想。
そして、「国会待機」(笑)。
国会や委員会で国会議員から質問があった際の答弁を考えないといけないんだけど、どんな質問が出るかわかるまで「とりあえず」「みんな」で待機しとけーってやつ。
公務員の人件費削減については、基本給ではなく、残業手当、そしてこのような実情を国会議員がちゃんと目を向けなければいけないと思う。

それか、占い師を雇うか(笑)。
「○○議員の質問内容が見えます。」
公益法人の受注実績についてですね。」
「質問が届く時間は深夜2時40分になります。」

きゅれーしょん

 この本の著者の佐々木俊尚さんって方は毎朝twitter上でキュレーションをしており、私がtwitterを情報源として活用し始めた頃から現在に至るまで、おかげさまで有益なタイムラインとさせてただいている。

 本の内容としては、前回触れたの評価経済社会と本質は同じで、高度情報化社会に関するものであり、氾濫する情報の中から、その情報に価値観を付加するキュレーターの視座に対し、情報を受ける側はチェックインする、というもの。
 とある情報、とある消費に対し、人が介在し、その視座に共感、共鳴することにより、情報を得たり、消費をしたり。
大量生産大量消費時代の記号的消費は終焉を迎えた。

 著者のキュレーションは簡潔で特段偏りも感じず、また記事の種類も多様性(原発から芸術まで)に富んでいるところが、今でもチェックインしている理由だと思う。

評価経済社会

 先月、上海滞在中に読んだ本。

 基本、今日の高度情報化社会のお話。

 まず、高度情報化社会とは、一つの情報に対する解釈が無限に流通する社会であるということ。
その情報を受け取った側は、価値観も同時に受け取って、影響を受ける。
 一方で、インターネットとという双方向装置によって、同様に他者に影響を与える側にもなる。
 高度情報化社会においては、貨幣経済社会のお金の多い少ないの貨幣資本よりも、イメージ等の評価資本による影響力が優越する。
 というのが、評価経済社会

 個人の価値観が多様化する評価経済社会
私が前職の公務員を辞めたのも、来月から上海に行くのも、情報による影響を受け、価値観が再構築されたからであろう。
 価値観の多様化しているから、他人との価値観の相違は前提となるし、例えば恋愛、結婚、家庭等においても同様である。
 同時に常に情報を受け取り続け、影響を受けやすい私なんかは、現在持っている価値観のスペックはどんどん更新されていくのであろう。
極端な話、昨日と今日で言っていることが違かったり(結婚は無理そうだとつくづく思う)。
 しかし、影響を受けてばかりではいられない。
こうしてブログをやろうと思ったのは、今後もし仕事とかで評価資本が必要な場面に遭遇した時のために、少しでもアウトプット力を備えつけとく、というのが理由の一つである。

 この手のもので長続きしたことはありませんがねw

 最後に、著者の岡田斗司夫さんて方は、オタキングexという会社の社長で、この会社は社員1人あたり年間12万円を社長に支払って成立しているとのこと。
その収入があるので、本の売り上げからの印税を受け取らずに広告費に回したり、その他講演や雑誌の取材等をノーギャラで受けることができる。
 著者の評価資本があってからこそ成立するわけである。
 

評価経済社会 ぼくらは世界の変わり目に立ち会っている

評価経済社会 ぼくらは世界の変わり目に立ち会っている

更迭経産省3幹部 退職金1000万円超上乗せ

http://www.tokyo-np.co.jp/article/economics/news/CK2011081302000029.html

 テレビを人にあげてしまったので確認できないのだが、このニュースは大きく取り上げられているのだろうか。

大炎上すべきニュースではないだろうか。

この3人は、原発に関する一連の問題に対し責任を負わされたのである。

えっ、「早期勧奨退職」?

懲戒免職ではないにしろ、「自己都合退職」か「早期勧奨退職」か、安易に制度上の枠組みにあてはめること以外考えがない公務員。

実質責任の代償がない更迭とは、海江田経産相、何がしたかったんだろうか。

言葉の力

 これからは主にここ2、3ヶ月で読み終えた本についての感想文を書こう。
中国に全ての本を持っていく程、バッグに余裕はないので。
 これはある意味、本棚から本を取り出す作業。
ブクログとこのブログが連動すればいいのだが。
とりあえずブクログの本棚のブログパーツをサイドバーに貼付けたので、今後このブログには、「ブクログ更新しましたー」ぐらいの投稿になるかもw。


では、そろそろ本題。


 日常会話にて、「すげぇー」とか「フツー」とか「良い」とか「ビミョー」とか、他人に言われたり、自分が発することもあるけど、こういった形容詞のみで並べられた表現は、心に響かないし、本気で伝えようと思っていない時に使う言葉だと思う(その場がどうでもよい会話モードの時は別として)。
本気で相手に自分の考えを伝えたいと思うなら、「良い」だけではなく、「どうして良いのか」まで説明しなければならないし、また相手に伝わらないため会話が成立しない。

 猪瀬直樹の「言葉の力」、著者は現東京副知事、小泉政権の時に道路公団民営化に携わった人だが、本職は作家。
地球一体化時代(要するにグローバルってやつ)において、上記のような形容詞を羅列する日本人の言語技術を、世界基準である論理性を重視した言語技術によりコミュニケーションができるよう改善していく必要があるとしている。

 道路公団民営化の際の官僚とのやりとり等を例に「霞ヶ関文学」についても触れられている。
前職である公務員を辞める際の、上の人間とのやりとりを思い出す。
 私は有給休暇をほぼ使い切り7月末で辞めたいという意向を持っていたが、「社会的常識」に反するという非論理的な言葉により却下され、結局30日弱の有給休暇を水に流し、6月末で退職することになった。
 その上の人間との退職時期について話し合った際、私はその「社会的常識」について少しでも紐解こうと、
「例えば、夏季休暇と有給休暇を繋げて1ヶ月近く海外旅行に行く人がいますよね。それは当然ながら業務の状態を見て支障にならない時期や範囲で認められているはずです。私の場合は担当している会議や研修の事務がほとんど6月中に終わります。そのことは係長も納得し認めています。何か違いがあるのでしょうか。」
と聞いたところ、
「そんな水掛け論を言ってる場合じゃないんだよ」
とまたも非論理的な言葉で一蹴された。
 出勤最終日、私は捨て台詞代わりにその上の人間にこの本を紹介したが、まぁ読んでないだろう。

 話が逸れてしまったが、この本では読書の重要性についても触れられており、読書は他人とのコミュニケーションであり、また読書は人間の好奇心や感性を刺激し、未知なるものを克服しようという探究心や情熱を育む、としている。
言葉をそのまま引用したくなるぐらい言葉に力がある。
話している時はそうでもなく感じるのは気のせいか。
 ただ、日本人の言語技術(の低さ)について、歴史から説明していたのは圧巻。

まずはご挨拶。

 ほぼ毎晩酒飲んで、翌日昼近くまで布団にくるまっている生活のみでは、社会復帰可能なメンタリティーが育たないので、せめてものということでブログを始めました。
 6月いっぱいで仕事を辞め、9月から中国・上海に渡る予定ですので、全くもって今更ですが。。

 よろしくお願いします。

とはいえ、そんな本を読んでいない。

 ブログを始めたものの、9月に上海に渡るまでの間、温泉に行ったり、実家に帰ったり、フェスに行ったりするので、今住んでいる下北沢のアパートの明け渡し準備等、いろいろ今のうちにやっておかなければならない。
楽器を大学の後輩に譲ったり、家具家電の処分の手続きを行ったり、意外と時間を費やす。

 そのような状況の中、漸く読了できた本が、小島寛之さんという経済学者の「数学的思考の技術」。
 高校時代、因数分解レベルで挫折し、真っ先に私立文系コースへの道に突き進んだ私にとって、数学は鬼門鬼門。
ところが、この本はタイトルにある通り「数学的思考」について触れるものであって、因数分解、方程式等の数式ズラーっていう数学本でない。
この「数学的思考」とは、普段の生活で起こりうる問題等を簡単な数字や図形を使ったシミュレーションを行い、論理的に考察してみましょう、というものだ。

 例えば、ボーナスについて、社員が仕事に対し怠けず努力するための仕組みであるのは当然かもしれないが、ボーナスに限らず、人に対し本音を言わせるためには高コストがかかる、ということを簡単な数字を使用したシミュレーションにより解明する等、他にも様々な事象について数学的思考により説明をしている。

 途中、著者の経済論がダラダラと続き退屈であったが、最後に村上春樹の小説は、数学をソフトウェアとして機能させているという記載があり、これは興味深かった。
 その内容とは、言葉のみであるにも関わらず、とあるモノや物事等の相互の距離感などが組合わさった空間図形が頭の中に描くことができる、とのことで様々な小説のくだりを引用し説明をしている。
こういうのとか、トポロジーというらしいがちょっと難しかった。

 とりあえず「1Q84」を読んでみたいと思った。

数学的思考の技術 (ベスト新書)

数学的思考の技術 (ベスト新書)